絶対友達になれないタイプなんだけど、Bruno Marsの『24K Magic』は物凄いクオリティだ
名前を出せば売れる人
そう、Bruno Marsのことだ。ほんと売れまくってる。ブルーノ・マーズの個人作だけでなくプロデュース作も売れまくってる。とりあえずブルーノ・マーズの名前出せば売れるってレベルで売れまくってる。去年の11月に発売された『24K Magic』は凄い勢いで売れ、多くの雑誌の2016年の年間ベストに選ばれてた。
では、なぜこんなに売れていて、なぜ著名人が絶賛しているのか。今回は『24K Magic』を通じてブルーノ・マーズはどこが凄いのかを解明しよう。
パリピだ。逃げなきゃ。
最近のブルーノ・マーズのイメージは完全に成金のパリピだ。パーティーピーポー。
アメリカ人だいたいパリピ説はあるけど、ブルーノ・マーズは本物のパリピだ。世界的パリピ。ほんと怖い。
ずっと気になってんだけど、なんでパリピってやたらと金属ジャラジャラさせてんの?あれ絶対邪魔だと思うんだけど。ってかそこまで付けたらもはや重そう。武藤遊戯リスペクトしてるなら仕方ないけど。あとサングラスもなんなの?夜でもしてるじゃん。見えないでしょ。ほんと怖い。
しかもブルーノ・マーズに関しては取り巻きの黒人マッチョがやばい。あれまじでやばい人達じゃん。せめて連れてくるなら叶姉妹みたいイケメンモデルっぽい感じにしようよ。あれ原宿で声かけられたら目を合わせずに逃げないといけないやつだよ。ほんと怖い。
そんなブルーノ・マーズである。管理人のように休日は家に引き籠もって映画観て過ごすような人達が本当に苦手としている人種だ。唯一の心の拠り所は身長165cmってことだけだ。それ以外無理。ほんと無理。ヤマトのお兄さん以外こっち来ないで。
ポップスによる完全武装
珍しく歌詞から説明しよう。アルバム全体で「あるパリピの数ヶ月」みたいな構成になってて面白いんだよ。
序盤は本物のパリピを見せつける。「パーティーしようよ!もっとお酒飲んで!君かわうぃーねヤッちゃおうよ!」である。「彼氏いる?俺は君しか見えないよ」じゃねえよ、ゲス極めすぎだろ。活動休止に追い込まれるぞ、すぐ復帰しそうだけど。
で、中盤は付き合ってベタベタする。「俺ら2人超お似合いだろ」みたいなこと言ってる。もしくはヤッてる。わりと露骨な表現でヤッてる。
そしてアルバム後半でこの女にフラれる。その女の子から連絡がねえってへこむ。めっちゃ悲しそうに歌う。なお原因は女遊びである。
ここまで読んで分かる通り、頭の悪さが半端じゃない。IQ84って感じ。今が楽しければオッケー☆じゃないんだよ。明日の仕事のこととか考えようぜ。
曲調もそんな感じだ。最初にアゲアゲのパーティーチューンをかけてすこしずつメロディがを聞かせる曲に変わっていき、最後はしっとりしたバラードで締める。とても分かりやすい。
そう、このアルバムはとても分かりやすい。本当にIQ84向けに作られているのだ。
ある電通マンは「広告は偏差値40でも分かるようにしろ」と言った。つんく♂も「ちょっとダサいくらいが一番売れる」と言った。
ブルーノ・マーズが今回のアルバムでやったのはまさにこれなのだ。
確かに非常によく練られ、独特な世界観で作られた芸術作品というのは素晴らしい。最近は特にその傾向が強く、一聴だと分かりにくいものもある。高い品質を求める故に起きることだ。3回聞いてようやくわかるなんてことが多々ある。
しかし、そうした作品が売れるかというと必ずしもそうではない。そもそもよっぽどでなきゃ3回も聞かない。分かんないって言って聴くのをやめるのが多数派だ。
ブルーノ・マーズはそうした多数派を味方につけた。絶対に売れる作品を作り上げたのだ。そのために徹底的にマーケットの調査をし確実に売れる作品像を探り出した上で見事にそこを射抜いたのだ。そしてポップスは売れたものが正義だ。つまりこれが最高のポップスのセンスなのである。誰がなんと言おうとブルーノ・マーズが最強なのだ。
そう考えると全て辻褄が合う。パーティーソング、ラブソング、失恋バラード。みんな大好きの王道パターンだ。何度も見たようなストーリーのジャンプ漫画が人気なのと一緒だ。お涙頂戴の感動シーンで泣いちゃうのが我々人間なのだ。難しい言い回しだって一切してない。ヤッてる描写だってこんな極東の日本人でも理解できるくらい分かりやすい英語だ。下品なのではなく、分かりやすいのだ。
世界観だってこんなに分かりやすいものはない。成金パリピがパーティーで女の子ゲットして付き合って別れた。たったこれだけで全ての説明ができる。一切頭使ってないけどこれをアルバムのコンセプトに据えた時点でブルーノ・マーズの勝ちが決まったようなものだ。
そしてその世界観を物凄く高い次元で音にしている。そもそも音聞いただけでパリピなのが分かるって凄いことだ。ラグジュアリーな歌詞ではギラギラして派手な音が鳴る。シングルカットされずPVがない曲ですらどういうスタイルなのかが手に取るように分かる。はっきり言って異常だ。
それらを今の流行りの音色、例えばフェンダーローズだとかシンセベースだとかトーキング・モジュレーターだとか、そういう音をふんだんに使ってスマートにまとめているのも恐ろしい。そうした新しい流行を身にまといながら、世界観がブレてない。しかもばっちり王道にいる。マイコー直系の絶対ノれるブラックなビートを駆使しながらジェイムス・ブラウンのファンクを合わせプリンスのようなシンセを乗せたりもしている。もう反則だ。売れない訳がない。
そうしたポップスでガチガチに武装して難しい芸術をやっているアーティスト達に宣戦布告をし、一撃で黙らせたのが『24K Magic』なのだ。
ポップスターへの扉を開いた
冒頭でブルーノ・マーズの名前を出せば売れると書いたが、ブルーノ・マーズだからである。このプロデュース能力は他を圧倒している。誰もができることじゃない。しかもどの要素も売れるためにやったその場しのぎのクオリティではない。彼が長年培ってきた経験を活かしたら結果的に売れたということなのだ。
個性を活かしながら新しさを取り入れつつ、世界観を構築して王道に落ち着ける。こんなことを成し遂げられる人がそうホイホイ出てくるはずがない。だって今までにこれを成し遂げたのってマイコーとかプレスリーとかだぞ。
逆にこういうのを成し遂げられないと本物のポップスターにはなれないということでもある。そしてブルーノ・マーズはそのポップスターの試練をクリアしたわけだ。
今の時代に彼がいることが奇跡。そう言えるのも遠くなさそうだ。